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今回のえびす顔


  • 佐賀県徐福会代表村岡央麻さん
    • 徐福と吉野ヶ里は切っても切れない存在だと思ってます。
    • 第9回の「えびす顔」は、10月に徐福に関する国際シンポジウム開催を控え、多忙な毎日を送られている「佐賀県徐福会」代表、村岡央麻(むらおか あさ)さんにお話を伺いました。徐福に対する熱い想いと吉野ヶ里遺跡との意外な関係を語っていただきました。ぜひご覧ください。



  • ご出身は?

    福岡県の飯塚です。こちらに嫁いでからはずっと佐賀市ですよ。
  • 佐賀県徐福会の会長でいらっしゃいますが、「徐福」との関わりのきっかけは?

    徐福会の会長はね、木下棋一郎さんが約20年会長を務めてくださっていましたが、体調を崩されてしまいましてね。それで、私と会長を変わりました。
    徐福さんとの関わりは佐賀に来てからですよ。ある時、金立(きんりゅう)神社(佐賀市金立町)にお参りに行きましてね。今はありませんが、そこに徐福の云われが書かれた石碑が建ってまして、そこに「その神社の祭神である徐福は、秦の始皇帝の三番目の王子で、父君の始皇帝の命令によって不老不死の薬を求めるために、佐賀にやって来た!」と書かれていたんです。きっかけは、ただそれだけのことなんです。30年ぐらい前の話ですね。
    実は、昭和55年に、50年に1度しか行われないという金立神社の大祭があったんですよ。金立神社上宮から徐福さんが降りてきて、千布(ちふ:佐賀市金立町の地名)に徐福と恋に落ちたお辰観音さんがいて、徐福さんと50年ぶりの再会をして、神輿を担ぎながらそのまま諸富町(佐賀市諸富町:徐福上陸地として言い伝えられている場所)の下宮まで行って、また金立に帰ってくるという三日間かけて行われる大祭なんですよ。
    その大祭が、なぜ50年に1回なのかは不思議なもので私も分かりません。私の個人的な考えですけど、お辰さんが徐福さんに惚れてしまって。でも徐福さんは忙しくてその場を離れてしまうんですね。徐福さんが5年待ってくれと言ったのを、お辰さんが50年と勘違いして、嘆き苦しんで病に倒れてしまった。それで50年に1回の開催になったのではないでしょうかね(笑)。
    その後だったと思うんですよ、「あれっ」と思ったのは。不思議だなって感じるところから観光資源が見えてくるとですよ。ちょうどその頃、卑弥呼がすごい話題だったんですよ。結局、金立神社の石碑は昔からあるのに、誰でも読みよろうばってん、何とも思わんで読んでるのでは、と感じて。読んだときに「何故?」とか「どうして?」って皆が思えば、もっと早く徐福さんについてもっと知りたいという気持ちになったはずなんですけどね。
  • 佐賀県徐福会のはじまりと、主な活動内容を教えてください。

    もともと徐福研究会という組織がありました。佐賀県徐福会はその研究会から派生してます。
    この研究会は地元の方や徐福のことを知っている方の集まりで、これまでずっと地道に月1回の会合を継続されていて、今でも研究を続けています。その研究が土台になって佐賀市制100周年記念の時に企画されたシンポジウムのテーマとして「徐福」が取り上げられたんですよ。その関係で、翌年に控えたシンポジウムに先駆けて1988年(昭和63年)10月に木下棋一郎さんを団長に「佐賀県徐福会」として中国の連雲港市にある徐福村を訪問することになったんです。私は佐賀県徐福会の事務局長としての役割で、議員さんや研究会の方、シンポジウムに関わる先生方と一緒に行ったのが初めての中国への派遣でした。
  • 苦労されたことや、嬉しかったことなどエピソードがあったら教えてください。

    あんまり苦労を苦労と感じなかったですね。何事も打ち込んでいくと面白いでしょ?だんだん面白くなってきてね。ただ、その時に行われた徐福シンポジウムがなかったら、今の吉野ヶ里遺跡は残っていなかった!ということが一番嬉しいですね。
    どういうことかというと、そのシンポジウム開催時に眉ツバ物で「徐福は伝説にすぎない」と考えていた研究者や先生方が来られてまして。時期を同じくして、吉野ヶ里遺跡では発掘が終わりかけていて、1989年3月1日からブルトーザーが吉野ヶ里に入って埋め戻して整地されてしまうという状況だったんですよ。その寸前の2月11日に、シンポジウムのために佐賀に来られていた先生方が吉野ヶ里を見に行かれて、そして、そこで「これは大変なことだ!」となったんですね。県外の研究者たちは吉野ヶ里の発掘状況を見に来なかったんですね。でも、この時ばかりは佐賀に来てたんで見ないわけにはいけなかったんですね(笑)。そしてビックリして、あちこちに情報を発信されたんですよ。あれは神業でしたね!!新聞やテレビのスクープになったんです。それが2月23日のこと。そうなったことで吉野ヶ里遺跡は工事ができる状態ではなくなって!その後、全国からたくさんの人が来るようになってね。すごく劇的な話だったんです。徐福と吉野ヶ里は切っても切れない存在だと思ってます。
  • 最近、中国・連雲港市の栄誉市民に選ばれたそうですね。

    これまで連雲港市とは徐福を通してお互いに交流をしてきましてね。佐賀に交流団が来られた時は丁寧に応対してますし、教育委員会や佐賀市国際交流協会の働きのおかげで、佐賀市の中学生を派遣したりしながら国際交流を続けてきた結果だと思ってます。当時、20年前の中国と日本との交流は、今とは比べ物にならないくらい頑なだったんですよね。中国の子供たちをホームステイさせることもできませんでした。それが徐福を通して少しずつほぐれていったんですね。ようやく3年ぐらい前に、ホームステイができるようになったんですよ。最近、急速に友好な交流が高まってきましたね。中国国内では徐福さんのことが教科書に必ず出てきますから、徐福さんのことを知らない人はいないんです。ただ、徐福さんが訪れた場所はおそらく日本だろうと、そして日本のどこに行ったのかはよく知らないみたいです。それが佐賀市の諸富町から上陸されたという話をすると、すごく感激されるんです。
  • 今後の佐賀県徐福会の目標(夢・希望など)はありますか?

    全国の徐福伝説が残る地域と違う佐賀の売りは「徐福上陸」なんです。必ず観光資源になります。まずは、誰が訪れても分かるように整備することが必要です
    それから、昨年、佐賀県庁が主体となって官民一体の「佐賀徐福プロジェクト」が立ち上がりました。佐賀を売り出すプロジェクトとして「徐福」が選ばれたんですね。そして中国・台湾・韓国の皆さんが一番知っている人物が「徐福」なんです。そこに目を付けられて佐賀県庁が佐賀県を売り出そうとするプロジェクトを立ち上げられたので、少しでもお手伝いできればと思っています。ですから、いよいよ開催が迫ってきました「佐賀・徐福国際シンポジウム(2008年10月11~12日開催)」を、まずは成功させることが一番の目標ですね!
  • 佐賀の好きなところは?

    佐賀は何もないと良く言われますが、もてなし、人情、景色など、ホッとする癒しの空間、空気が佐賀にはいっぱいあります。ぱっと広がる佐賀平野の田んぼとか、真っ赤な夕焼けに染まる有明海とか、まっすぐ伸びる道路と街路樹。こうしたホッとする部分が佐賀市の最大の売りだと、昔から思っていますよ。
  • 佐賀市の観光について思うことは?

    佐賀の観光は、地道に作り上げていくしかないですね。市町村合併してからは、福岡のお客様がたくさん来られる三瀬村や富士町などの市の北部山間地域がとっても元気ですよね。そこに来たお客様に市の中心街まで何とかして下りて来てもらわんばもんね。そうするためにはバルーンフェスタももちろん、年に1回でも良かけん「お祭」があるといいですよね。私は、佐嘉神社や佐賀城本丸歴史館を中心に県内に数多く受け継がれている「浮立(ふりゅう)」を一斉に披露する浮立大会をやりたいと思っているんですよ。少しずつ無くなりつつある「浮立」の掘り起こしを密かに思い描いているんです。
  • 最後にえびす顔でPRををお願いします。

    各国から徐福研究家や関係者の方がたくさんいらっしゃるので、その方々の話を地元の方にしっかり聞いてもらいたいですね。しかし、多くの地元の方がまだ徐福は伝説だと認識されている。中国でははっきりとした歴史上の人物なんですね。日本各地30箇所ぐらいに徐福にまつわる伝説はあって、銅像とか石像とかいっぱいありますけど、にもかかわらず、2000年の間、脈々としっかり語り継がれてきたのは佐賀だけですから、今回のシンポジウムでそのことを浮き上がらせようと考えています。シンポジウムは一般参加も大歓迎です!参加費は一般参加は2,000円。シンポジウムの傍聴と資料提供、吉野ヶ里の現地視察、それと同時通訳のイヤホン付き。皆様、ぜひ「佐賀・徐福国際シンポジウム」にご参加ください。
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